長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(ながさきとあまくさちほうのせんぷくきりしたんかんれんいさん| 英語 : Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region | フランス語 : Sites chrétiens cachés de la région de Nagasaki | イタリア語 : Siti cristiani nascosti della regione di Nagasaki | 簡体中国語 : 长崎地区隐匿的基督教遗址)は、日本の長崎県と熊本県にわたり分布する10件超の歴史的な文化遺産。2018年にユネスコ世界遺産に指定されました。
知る
編集歴史
編集織田信長は鉄砲など先端技術を取り入れるため、キリスト教カトリック派の宣教師に布教を認めました。戦国時代に各地でキリシタンになる人が増え(細川ガラシャ)、伊達藩の高山右近など信仰する大名も出ると、徳川家康は幕府の勢力が及ばない集団をなくそうとキリシタンの取り締まりを命じます(禁教令)。江戸時代、それぞれの藩は信仰する人々を厳しく責めて仏教に宗旨を変えるなどさせ、表向きはキリシタンはゼロになりました。
長崎県と1 天草地方 には、江戸時代をとおしてキリスト教徒であることを秘密にしたまま、集団で暮らした人々がいました(潜伏キリシタン)。1865年、宣教師滞在を認められた教会に数名が現れてその存在がわかると、ローマ法王庁に知らせが届いています(信徒発見)。江戸幕府は禁教令のもと遠隔地に移住させるなど罰し、明治政府はその方針を引き継いで取り締まりましたが、外交上、宗教の弾圧を解く必要が出て禁教令を廃止。
大正時代に入り、1920年(大正9年)にキリシタン資料が発見されました(大阪府茨木市=高山右近が治めた旧千提寺〔せんだいじ〕)。兵庫県神戸市の南蛮美術館に寄贈された資料は、組織合併を受け神戸市立博物館に移管されます。そのひとつが肖像画『聖フランシスコ・ザビエル像』です。大分市歴史資料館には1597年発行のザビエルの伝記『東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの生涯』(とうようのしとふらんしすこ・ざびえるのしょうがい)が、また江戸時代の『長崎奉行所キリシタン関係資料』は東京国立博物館にあります(2点とも文化庁の国指定文化財等データベースのより)。伝記が発行された1597年は、ザビエルの死後45年目にあたります。
観る
編集建築物や遺構、景観が世界遺産に指定され、五島列島ならびに2 佐世保 周辺、熊本県の天草地方の沿岸部にあります。
長崎県
- 出津教会堂 - 重要文化財(以下、重文)
- 旧出津救助院
- 大野教会堂 - 重文
- 原城跡 - 国指定史跡
- 黒島天主堂 - 重文
- 安満岳と春日集落 - 重要文化的景観(以下、重文景)
- 中江ノ島 - 重文景
- 野崎島(野首集落跡・舟森集落跡)
- 旧野首教会堂
- 頭ヶ島天主堂 - 重文
- 旧五輪教会堂 - 重文
- 奈留島の江上集落
- 江上天主堂 - 重文
熊本県
- 天草市﨑津・今富の文化的景観
- 崎津集落 - 重文景