バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国
バルト三国

バルト三国(ばるとさんごく)は、バルト海東岸にあるエストニアラトビアリトアニアの三国を示します。

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  エストニア
バルト三国の中で最も北にあり、長い海岸線と多くの島々、豊かな緑がある。
  ラトビア
バルト三国の中で真ん中に位置する国で、森林・湖沼・河川などの自然が多く、プロテスタントが多い国。
  リトアニア
今急速に経済が発達している国でバルト三国の中で最も面積が広く、多くの湖や湿地帯がある。

都市 編集

首都 編集

 
ビリニュスを流れるネリス川

知る 編集

歴史 編集

バルト三国はそれぞれ別の歴史を歩んできたため、三国をまとめて解説するのは難しい。

エストニアはフィンランドと同じ民族で、他民族の侵攻をたびたび受けてきた土地である。13世紀になってデンマークが支配、16世紀になってスウェーデンの支配へと変わる。18世紀、大北方戦争の結果ロシア帝国領となる。

ラトビアは13世紀、リヴォニア帯剣騎士団(1237年ドイツ騎士団に吸収)に征服されその常軌を逸した暴力行為により先住民族であるリーヴ人はバルト人と同化した。これ以降、当地域はドイツ騎士団・リトアニアポーランドの支配を受ける。16世紀のリヴォニア戦争で南部がクールラント公国として分割されると、北部ラトビアも17世紀に入ってスウェーデン領となった。この地域も18世紀、大北方戦争などの影響でロシア帝国領となる。

リトアニアはリトアニア大公国として繁栄していた。当時非キリスト国だったリトアニアは度々ドイツ騎士団の侵攻を受けており、14世紀後半に耐えかねた当国はキリスト教を受け入れた。この時ポーランドと同盟を組んだが、1430年以降ポーランドと同君連合と化し、ポーランドに吸収されていった。そして1569年、ポーランド・リトアニア共和国が成立するとリトアニア人の独立国家はなくなった。1795年の第三次ポーランド分割によって土地のほとんどはロシア帝国領となる。

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