ヴロツワフ(Wrocław(ポーランド語)、発音はVROHTS-wahf)は、ポーランドの下シレジア地方 (英語版) 最大の都市です。市内の人口は 67万4000人(2022年時点)、広域都市圏にはおよそ130万人が暮らし、ポーランド西部で最も人口が集中する都市でもあります。第二次世界大戦の終戦までの旧称はブレスラウ(Breslau(ドイツ語)(英語))。
ヴロツワフはシレジア地方でも数百年前から歴史を紡いできた首都です。統治者が入れ替わるたび、ポーランド王国やボヘミア、オーストリア帝国 (英語版) やプロイセン (英語版) 、ドイツの領地に組み込まれてきました。第二次世界大戦の直後に国境線が西側に付け替えられ、この都市は1945年、再びポーランドの一部となりました。
現代になり、UEFA欧州選手権2012(ウィキデータ)では、サッカーの国際試合をホストしています。スポーツ関係では、2016年に開かれたリオデジャネイロ・オリンピック(ブラジル)から次のオリンピックへ至る第10回ワールド・ゲームズ(ウィキデータ)の開催地になったのは2017年で、次の五輪へと機運を結びました。文化面では2016年欧州文化首都(ウィキデータ)の1つに選ばれ、世界で評判になりました。通貨はズウォティ、記号はZl、złが使われます。
知る
編集歴史
編集中央ヨーロッパの都市なら珍しくないように、この都市も歴史の流れの中で多くの暴力と荒廃を経験し、過去の傷を抱えています。第二次世界大戦前、「ブレスラウ」としてドイツのプロイセン州ニーダーシレジアの州都でした。戦後処理にあたり、ソビエト連邦はドイツとポーランドの国境を西へ移すよう主張してオーデル/ナイセ線まで東側に取り込んで民族浄化を行い、この地域は元は圧倒的にドイツ人が多い地域だったのですが、大規模な国外追放を強行して共産主義ポーランドの領土となりました。
少し時間をさかのぼって大戦末期のこと。赤軍がベルリンを目指して進撃した時、アドルフ・ヒトラーはブレスラウを「要塞都市」と宣言して盾にしたため、この都市は攻防戦によりほぼ全面的に破壊されました。しかしながら共産主義政権が1989年に崩壊すると見事に修復され、今では、ポーランドおよび中央ヨーロッパ全体の見どころの1つに数えられています。
話す
編集観光情報センター
編集市内には2箇所、観光情報を発信する施設があります。片方は中央の日曜広場が開かれるところ(Rynek)、もう一方は中央駅の構内です。
着く
編集飛行機で
編集- 1 ヴロツワフ・コペルニクス空港 Copernicus Airport Wrocław (Port lotniczy Wrocław-Strachowice, WROIATA)、Graniczna 13。電話番号:+48 71 35-81-100 。
空港から都心部への移動は、ターミナルビルからバス 106系統が日中およそ20分間隔で運行します。夜行バス206系統も利用でき、その場合は市内中心部まで所要時間はおよそ1時間。空港からヴロツワフの最終目的地まで公共交通機関で行く方法がわからない場合は、経路検索サービスjourney planner の利用が便利かもしれません。空港と都心部は片道 4,60 zł(ズウォティ)、学生割引も、ISIC/EURO 26パスを見せても2.30zł。バス停の自動販売機もしくは車内で買います。
夜行バス206系統の中に、昼間の106系統と同じルートを走るものもあります。
日中、空港から都心もしくは鉄道中央駅までは、タクシー料金は45-60 zł 前後です。
鉄道で
編集ヴロツワフはポーランド国鉄の規模が大きい乗り換え駅です。国内の大都市との交通は、それぞれ日中に何本ずつか発着します。(経路検索サービスはroute planner。)