警告 | |
パレスチナ自治区への旅行は注意してください。生命を脅かす可能性があります。 主にガザ地区でイスラエルとの戦闘が発生しています。 詳細は右をクリックしてご覧ください。 主にガザ地区でイスラエルとの戦闘が発生しています。 | |
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パレスチナ自治区は中東(ウィキデータ)にあり、ヨルダン川西岸地区 (英語版) とガザ地区 (英語版) という物理的に離れた2つの区域で構成されます。政治的地位には議論の余地があり、1967年以来イスラエル占領が続いています。ヨルダン川西岸の一部はパレスチナ国家自治政府(PNA=Palestinian National Authority)をファタハが管理し、ガザ地区(ウィキデータ)はハマスが占めています。一般の旅行者にとって領土の一部は危険であり、他の地域は、特に古代の聖地の都市群は一般にも巡礼者にも人気があります。パレスチナは「パレスチナ国家」とも呼ばれます。
20世紀初頭、現在のイスラエル (英語版) (ウィキデータ)およびヨルダン一帯を含めた、より広範囲を「パレスチナ」と呼んでいました。第一次世界大戦 (英語版) 後にオスマン帝国 (英語版) が崩壊すると、イギリスはこれらの地域を含む「パレスチナ委任統治領」を獲得しました。
地域
編集都市
編集ヨルダン川西岸地区
編集- 1 英語版 誤った名前 – 西岸地区で見られる古代都市の一つ。アラブ圏ではあってもキリスト教の聖地もある。キリスト降誕教会は世界遺産。 ユネスコ世界遺産.
- 2 英語版 誤った名前 – 旧市街は世界遺産。古代都市のおもむきと、ガラス細工や焼き物の工房が見どころ。地区はパレスチナ側の H1 とイスラエル側の H2 に分断。 ユネスコ世界遺産.
- 3 英語版 誤った名前 – 名前の意味は「庭園の泉」。ヨルダン川西岸の最北の都市で、ナザレからわずか26 km。
- 4 英語版 誤った名前 – 世界最古の都市の一つ。海抜はマイナス400m 前後。テンプレート:疑問点
- 5 英語版 誤った名前 – 西岸地区の経済活動の中心とされます。やはり旧市街が有名であり、家具取引、美味しいカナファ(ケナフェ)が名物です。(kunafa/kenafeh)。
- 6 英語版 誤った名前 – 西岸地区すなわちPNAの事実上の首都機能を担います。出稼ぎの町であり、政治活動家が海外から入域してきます。
エルサレム 東エルサレム (英語版) (ウィキデータ)は住民の大部分がパレスチナ人であり、パレスチナ人および多くの国連加盟国によってパレスチナの首都であると考えられ、イスラエルは首都の一部と考えて実効支配下に置いています。 ウィキボヤージュは東エルサレム(ウィキデータ)とイスラエルの関係について述べる立場になく、単に旅行者に向けてエルサレムのどこに入域するにもイスラエルの入国証もしくは査証の携帯が必要であるという実効支配 下にあると述べるにとどめます。 |
ガザ地区
編集7 英語版 誤った名前 – 沿岸都市のガザ地区は行政上の中心地で人口45万人。パレスチナ自治区最大の都市で(2013年時点)、イスラエルとハマスの紛争がたび重なり大きな被害を受けました。イスラエルとエジプトによる国境封鎖の期間、入域はほぼ不可能です。
知る
編集パレスチナ自治区の大部分は国際連合とイスラエル (英語版) (ウィキデータ)との合意により、パレスチナ(PNAまたはPA=the Palestinian National Authority)という半自治的な国家機関が統率しています。しかしながらいくつかの区域はイスラエルかハマスが正式もしくは 実効支配 しており、旅行者はパスポートと入国・身分証明の書類を常に携帯するよう注意し、国境や検問所を通過する際に提示する必要があります。交渉の最終結果がどうなるかは明らかではないものの、国際社会の大部分は二国家解決案を支持し、新たな - 単にパレスチナと呼ぶ - 主権国家の創設を期待していて、国際連合における地位向上を反映し、当局は新しい紙幣を発行しました。
パレスチナ自治区もイスラエルも複数の宗教の聖地 (英語版) と認められており、ユダヤ教 (英語版) 、キリスト教 (英語版) 、イスラム (英語版) 、バハイ教 (英語版) とどれも信者が多いです。聖地は何世紀にもわたって観光客や宗教的な訪問者を惹きつけてきましたが、依然としてこの地域の経済活動にとって重要です。考古学、パレスチナ文化、政治的重要性、自然景観、エコツーリズム、ボランティア活動も観光客を惹きつけています。現在のパレスチナ自治区内にはベツレヘム (英語版) 、へブロン (英語版) 、ナーブルス (英語版) (ウィキデータ)にエリコ (英語版) (ウィキデータ)など、宗教的にも考古学にも重要な遺跡が数多く発見された地区があります。
歴史
編集パレスチナ自治区 は1948年以前、イギリス委任統治領パレスチナの一部でした。国際連合は旧委任統治領にアラブ人支配地域を計画し、1948年から1949年のイスラエル独立戦争後に大幅に縮小されました。新しく建国されたイスラエルは、この戦争で初めて近隣アラブ諸国から攻撃を受け、その後、相手の軍隊を破るとイスラエルの国境の引き直しが国際的に認められました。もちろん交戦状態により双方に多くの死傷者と難民が出て、パレスチナ難民が近隣のアラブ諸国、ガザとヨルダン川西岸に行き着き注目され、後者(ウィキデータ)は1967年以来、イスラエルの占領下に置かれています。その名の示す通り、かつてはヨルダンの占領下にありました(ヨルダンが1950年にヨルダン川西岸を併合したとき、ヨルダンとイギリスのみが承認し、当時、ガザ地区はエジプト占領下にありました。)
着く
編集移動する
編集バスで
編集ヒッチハイクで
編集乗り合いタクシーで
編集貸切タクシーで
編集車で
編集観る
編集パレスチナには、歴史上最も重要な宗教的な場所がいくつかあって素晴らしい光景をなし、敬虔な信徒の人たちが数多く集まりとます。年間、数百万と言われる巡礼者の足跡をたどり、史上最も影響力のある戦いが行われた地に立ち、世界で最も重要な聖書や史跡のいくつかを訪れます。 ベツレヘム (英語版) は、パレスチナ自治区を訪れる人々の多くが – 伝説によりナザレのイエスが誕生した場所とされる – 降誕教会(ウィキデータ)を目指します。ここはキリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても、同様に聖地とされます。羊飼いのグループがお告げの星を見て、聖なる赤ん坊が生まれたと知ったという伝説があり、その羊飼いの野まで徒歩で行ける距離です。あるいはまた町から数キロの地点にソロモンの池という貯水施設があります。ベツレヘムは「バンクシーの作品」でも有名で、4つの落書きが見つかりました。市内周辺にはマル・サバ修道院(ウィキデータ)もあります。誕生の町がベツレヘムなら、終焉の地はへブロン (英語版) 。家を率いた偉大な長たちの埋葬地です。かつてのイスラエル王国の都であり、イスラム教徒もユダヤ教徒もこの都市を聖なる土地と認めていて、マクペラの洞穴があります。旧市街はバザールがにぎわい曲がりくねった路地が続き、またパレスチナの優れた職人技を見て回るのに最適。地元の陶器や吹きガラスの工房は有名です。ただし明らかにイスラエル側とパレスチナ側の分断という政治的状況と無縁ではありません。
古代から続くエリコ (英語版) (ウィキデータ)は、人類が最も長く住み続けた都市の一つに数えられ、また海抜の低さでも知られています(海面よりも260 m低い)テンプレート:疑問点。興味深い観光地が複数あり、ヒシャム宮殿(Hisham's Palace)はモザイク装飾の床が見どころの7世紀の広大な王室複合施設の遺構です。ヨルダンのゲラシムス修道院(Monastery of Gerasimus of the Jordan)の内部の洞窟は – 伝説によると – イエスが40日滞在して断食したとされます。
パレスチナ自治区の北方は美しい丘陵地帯と緑の谷が大半を占め、村が点在しオリーブの木々が生えています。おいしいクナファ(ケナフェ)を味わうためだけでも、ナーブルス (英語版) (ウィキデータ)の旧市街を訪れる価値があります。北郊の村にセバスティア考古学公園(Sebastia Archaeological Park)があり、ローマ時代の遺跡が印象に残ります。ジェニン (英語版) に聖ゲオルグ教会(St. George Church)という、世界最古の教会の一つがあります。そして最後にジェニンの町そのものもそうであるように、個性的で興味深い歴史のあるシネマ・ジェニン・ゲストハウス(Cinema Jenin Guesthouse)でくつろいでみてはどうでしょう。
する
編集- Abraham Path (مسار إبراهيم, Abraham's Path) 。 総主教アブラハムがレバント地方を旅する途中にさまよった場所を歩きましょう。アブラハムの道のりはトルコ、ヨルダン、イスラエルとパレスチナの支部の共同プロジェクトです。
学ぶ
編集買う
編集両替と通貨
編集パレスチナ自治区ではイスラエルの通貨「新イスラエルシェケル」が使われ、シェケル(複数形:「シュカリム」)またはシャチ( Sha-ch)と呼びます。記号は「₪」または「NIS」(ISOコード:ILS)。1シェケルは100アゴロットです。新紙幣はポリプロピレン製で、破れたりちぎれたりしにくくなりました。新しい ₪50紙幣の色は、以前の₪20紙幣とよく似ています。
イスラエルは徐々に新デザインの紙幣に切り替えていますが、旧来の紙幣もまだ流通しています。
アメリカドル紙幣は、特に観光客向けの店で広く受け入れられているようです(ジェリコやベツレヘムなど)。
物価 Costs
編集値引きの交渉 Bargaining
編集町めぐりとガイド
編集食べる
編集オリーブやフムスと同様、シャワルマとファラフェルはパレスチナ人にとても人気の食べ物です。スプーンやフォークを使わずにパンで挟んでサンドイッチにして食べます。パンを頼まずに食事をすることは珍しいです。 パレスチナ料理はだいたいが近隣のヨルダンと似ています。肉(通常はラム肉)とご飯を炊いたマンサフ(mansaf)も人気です。チーズを砂糖ベースの甘いシロップに浸したデザートはカナフェ(Kanafeh)と呼ばれ、フィロペーストリーを細切りにしてトッピングしてあります。ナーブルスの名物はさまざまなナーブルス風カナフェです(knafeh Nabulsiyeh)。
飲む
編集ラマッラー (英語版) (ウィキデータ)などの都市にはアルコール飲料を出すレストランがしばしばあります。ヨルダン川西岸地区の住民のほとんどはイスラム教徒であるため、酒を飲まない人ばかりです。公衆の場では酔っ払いを白い目で見がちです。
パレスチナ唯一の国民的ビールはタイベビール(Taybeh Beer)、アルコール度数は5%と6%の2種類で味わいはマイルドです。タイベ村にある醸造所へは、ラマッラーのタイベ村バス停留所まで行き、乗合タクシーまたは貸切タクシーを利用します(料金はタクシーに乗る前に交渉してください。)
泊まる
編集話す
編集話し言葉はアラビア語のパレスチナ方言が中心です。中東全域のメディアで広く使われるため、標準アラビア語やエジプト方言も理解できる人は多いはずです。
尊敬する
編集パレスチナ人から見ると、ユダヤ人のシンボル「六芒星」はイスラエル占領を連想させます(イスラエル軍の装備はロウソク立てやダビデの星のデザインを目立つように付けてあるから)。敵の目印をわざわざ身につけた人など、友だちにしたいとは思われません。女性は服装を控えめにして、男性もショートパンツ姿は避けるべきです。
それは建前として、パレスチナ人のほとんどは他の宗教に寛容で、キリスト教徒は少数派ですが、イスラム教徒の隣人たちと平和に暮らしています。キリスト教徒とイスラム教徒の友だち付きあいは一般的です。パレスチナ人にも他の中東の人々と同様に、おもてなしの伝統があり、最善を尽くして訪問者を歓迎します。
安全を確保する
編集パレスチナ人は敵対的ではなく、来訪者をとても歓迎してくれます。アラブ社会の中では、女性もオープンにお洒落を楽しんでいます。時には、そのフレンドリーさは少し大げさにさえ感じるかもしれませんが、顧客の心も財布の紐もゆるむとわかっているからだと考えてみましょう。イスラエル (英語版) (ウィキデータ)とパレスチナ人の感覚は大きく異なり、ヨルダン人とよく似ています。それでもイスラエルによる事実上の占領は、時折、多くの問題を引き起こします。
安全上の懸念が発生するたび、イスラエルとパレスチナ自治区の間の移動は厳しく制限されます。旅行者は渡航書類を完璧に整えること、突発的に治安状況が変化した場合に備え、地元のニュースを注意して見聞きする必要があります。特に暴力や政治的騒乱の直後、またはアラブ系か外観がアラブ風に見える人は、検問所で思いがけなく足止めされる可能性があります。目的地まで早く到着するには、検問所を車で通過するよりも歩いて出入国管理所を抜けて、反対側でタクシーを拾って移動する方が賢いかもしれません。イスラエルの検問所を通過する人には、神経を使うように強く推奨されることがあります。パレスチナ国旗、PAやPLOの宣伝チラシおよび同様の品物は、目につかないように隠してください。パレスチナ自治区で買ったりもらったお土産は、多くの人がイスラエルの郵便小包で自宅に送っています。パレスチナ風のデザインがついたりテーマにした品物を持ったまま、ベングリオン空港(Ben Gurion Airport)の通関しなくて済むからです。イスラエルの治安当局にパレスチナの都市でなにをしてきたのかと尋問されるリスク、長時間の拘束を避ける知恵と言えるでしょう。
気持ちよく旅行するヒントです。
- 平時には、パレスチナのほとんどの都市はわりあいに安全です。それでも一部の地域や特定の時間(結婚式など)に、銃声を耳にすることもあり得ます。ただし、そんなこともぐっと減りました。都会では爆竹に人気があり、銃声かと思っても、実は違う可能性もあると留意してください。
- パスポート原本と一緒に必ず「コピー」を持参します。コピーはホテルの部屋に隠してください。
- パスポートを常に携帯してください。身分証明書はイスラエル側でもパレスチナ側でも治安機関に見せるよう求められる場合があります。
- 礼拝施設では必ず敬意を表して、入場前に靴を脱いでください。またモスクに入る女性は、必ず髪をスカーフなどで覆うべきです。通常は顔は出したままで大丈夫です。
- 外国人は歩いているだけで目立ちますから、多くの人に声をかけられることでしょう。ほとんどの場合は善意であり、友好の印ですが、都市でも夜は用心が必要です。
- トラブル予防のためにも、地元のツアーガイドか翻訳者を雇ってください。
- 政治集会は要注意です。投石や催涙ガスなどで怪我をするかもしれないし、デモ参加者はイスラエル軍に力加減をしない武力を振るわれ、死に至る場合もあります。政治的なデモには近づかないほうが安全です。
- 通常は写真やビデオを撮影しても問題ないはずが、イスラエル軍の印象を悪くしそうな場面は撮影してはいけません。軍の検問所では携帯電話やカメラを頻繁に検査しており、検査で引っかかると画像の削除で済めば良いようで、最悪の場合、国家安全保障上の懸念を理由に、逮捕されます。
健康を維持する
編集飲み水 (英語版) には、氷を含めて用心してください - ペットボトル入りのものが安心です。イスラエル系の居住地以外だと、水道の給水制限が解除されるのは週に3日だけです。
移動する
編集ガザのビーチリゾートは以前から大きな可能性を秘めていますが、現在はイスラエルとエジプトによる陸海空の封鎖により、観光対応のビーチは閉鎖されています。論理上、次の目的地はイスラエル (英語版) (ウィキデータ)またはエジプト国境地帯ですが、計画を立てるにしても旅行中でも政情にはくれぐれも注意し、行動を臨機応変に変えなければなりません。具体的には、緊張が高まっている時期のイスラエルでは国境と検問所がより厳重に警備されます。あるいはエジプト関係では最近、シナイ半島 (英語版) がISIL(ダーイシュ)の温床となっている事実と無関係ではありません。 ヨルダン川西岸とヨルダンの移動の詳細は、キング・フセイン「アレンビー」橋の項目(ヨルダン)を参照してください。