スターラヤ・ルーサ(ロシア語: Ста́рая Ру́сса, Staraya Russa)は小さな歴史のある町でロシア共和国ノブゴロド州(Novgorod Oblast)の中央部にあります。ロシア国内では鉱泉のわく温泉保養地として昔から有名で、世界から訪れる旅行客にはドストエフスキーの夏の別荘がある街、あるいは小説『カラマーゾフの兄弟』に登場する架空の街「スコトプリゴニエフスク」(Skotoprigonievsk)の原型になった場所として人気があります。「スターラヤ」(古い)は新興地のルーサという同名の街と区別するためにつけられました。
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編集スターラヤ・ルーサはロシアでもいちばんの古都の一つ。10世紀に当時の裕福な貿易国であった強力なノヴゴロド共和国(Novgorod Republic)の主要都市として設立されました。12世紀に変容修道院(the Monastery of the Transfiguration)の設立により、この都市の名声は広く知られるようになります。製塩所があり、地域の塩と塩水の生産を率いて経済の牽引力を発揮。町は15世紀にノヴゴロド(英語版)とともにマスコビー公国(the Princedom of Muscovy)に編入された時には、人口5千人近くに発展しています。
北西部に位置するスターラヤ・ルーサは多くの戦いを経験しました。古来の木で組んだ壁が焼き払われて長い年月が流れ、石造りの要塞に建て替わったのちもスウェーデンの侵略者と数世紀にわたって血みどろの戦いを繰り広げて来ました。帝政ロシア時代、17世紀初頭のイヴァン雷帝の治世を迎えると、この街には「最も壊滅的な時代」が訪れることになります。
周辺地域は武装集団や山賊に牛耳られ、かつての重要な都市も人口わずか38人にまで衰退しました。ロマノフ王朝の成立を待ち、時代につれて勢いを盛り返した街ですが、20世紀に入ると、敵対勢力が侵略するルート上にあるという地理的位置のせいで再び悩まされ、第二次世界大戦の勃発、ヒトラーの率いる軍に侵攻され、歴史的な町は、事実上、灰燼に帰しました。
長年にわたって破壊が進んだにもかかわらず、本来の状態で残された古い木造建築(ドストエフスキー邸を含む)はたくさんあり重要な教会もいくつか残っていて、他の施設も温泉リゾートなどは再建されています。ソビエト連邦の崩壊後、人口減少が続き(ロシアの他の地方都市も同様)、のどかな僻地を感じさせます—実際、これまでほとんどの時間を[[で過ごしてきた旅行者にとっては素晴らしい気分転換になります。旅の空をサンクトペテルブルク(英語)やモスクワ(英語)で過ごして来た旅人は、なおさらかもしれません。川辺の住宅地はとても静かで、地元の人々はフレンドリーでのんびりしていますし、文豪ドストエフスキーの故地がいくつもあります。さらに良い点は文豪ゆかりの場所とは言っても、夏の観光シーズン以外は外国人旅行者がほとんど訪れないため、心ゆくまで独り占めできます。
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編集市内で半日観光するなら立ち寄り先をドストエフスキー関連の主な観光スポット—とりわけ邸博物館と聖ゲオルギイ教会(St. George church)にしぼり川沿いを散歩して—変容修道院(Monastery of the Transfiguration)を訪れてください。もう少し時間があれば、ドストエフスキー文化センターのツアーに参加して、温泉療法リゾートまでゆっくり散歩して、ミネラルウォーターの衛生施設というまさにロシア・ソビエトの伝統を体験してみてはいかがでしょうか。
天気が良い日なら、散歩がとても気持ちの良い場所です。さまざまな教会の外観を見て歩くだけでも、数時間、たっぷり楽しめます。
- 1 ドストエフスキー文化センター (Научно-культурный центр Ф.М.Достоевского)、nab. Dostoevskovo, 8。電話番号:+7 816 52 37-285。 このこぎれいな新古典主義の小ぶりな建物は、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの人生と作品に関する小さな展示がある。来館の主な理由とは、地元ガイドと待ち合わせて町の文学遺跡を案内してもらうため(ロシア語)。 営業時間:火曜-金曜、日曜10:00-18:00。 値段:70 руб、見学ツアー:300 руб前後。
- 2 ドストエフスキー邸博物館(Dostoevsky's House Museum) (Дом-музей Ф. М. Достоевского, Дом-музей Ф.М.Достоевского)、nab. Dostoevskovo, 42/2, Достоевского наб., д. 42/2。電話番号:+7 816 52 51-477 。 ドストエフスキーと家族はスターラヤ・ルーサの夏の気候を愛し、健康に良いからと1872年から1914年まで、作家が1881年に没しても夏はここで過ごした。ドストエフスキーはこの街で最も多作であり、最も重要な傑作『カラマーゾフの兄弟』を書き上げている。木造の大きなダーチャ(夏の家)は川岸の豊かな緑に囲まれている。現在は注意深く管理され、19世紀の偉大な作家で20世紀の革命と戦争を無傷で生き延びた文豪を祀る。1階は展示室、2階はドストエフスキーと家族が過ごしたころを再現し、持ち物も復元して配置してある。 営業時間:連日 10:00-18:00。 値段:70 руб。
- 3 グルシェンカの家(Grushenka's House) (Дом Грушеньки)、nab. Glebova, 25 (набережная Глебова, 25) 。 『カラマーゾフの兄弟』に登場するグルーシェンカの家。1850年代のこの美しい家がモデルにされた。個人所有。
- 4 Living Bridge (Живой мост) (across the Polist River) 。 地元の人々が「生きた橋」の話をしているのを耳にしても、心霊現象は期待できない。名前の由来は、かつての舟橋であり、生き生きと「揺れた」姿の名残りを留めている。
- 5 北西前線博物館(Museum of the Northwest Front) (Музей Северо-Западного фронта)、ul. Volodarskovo, 25。電話番号:+7 816 52 35-285 。 簡素な軍事歴史博物館。展示のテーマは、第二次世界大戦中にロシアが敷いた北西戦線の歴史。 営業時間:月曜、水曜-金曜 10:00-18:00、日曜 09:00-17:00。 値段:70 руб。
教会群
編集- 6 キリストの復活聖堂(Cathedral of the Resurrection) (Воскресенский собор)、ul. Resurrection (ул. Возрождения), 1 (ポリスト川とポルシャ川の合流点(Polist and Porusya), улица Возрождения, 1) 。 この記念碑的な大聖堂は17世紀末頃の創建。雄大な景色を背景に立ち遠景は非常に印象的で、近くまで寄ってカメラを構える必要はない。
- 7 殉教者ミナ教会(Mina Muchenik Church) (Церковь Святого великомученика Мины, Церковь Великомученика Мины)、ul. Georgievskaya (ул. Георгиевская), 44 (Георгиевская улица, 44) 。 14世紀の小さな教会。創建後に再建され、その後また荒廃して現在の姿になったにもかかわらず、保存は見事。言い伝えでは、スウェーデン兵は町の大部分を破壊し、一夜、風雨を避けようと教会に入った者は盲目になった。視力を失った兵士たちは、占領地ロシアがどれほど奇妙な土地で、どんな奇跡が起こったか、証拠としてスウェーデンに送り返された。
- 8 救世主変容修道院(Monastery of the Transfiguration of the Savior) (Спасо-Преображенский монастырь)、Frunze Square, ul. Volodarskovo(ул. Володарского)。電話番号:+7 816 52 35-666。 修道院の構成要素は美しい変容大聖堂(建造は1442年)、キリスト降誕教会(同17世紀初頭)、スレテンスキー教会(同)であり、いずれも木製のドームが魅力的。ボリシェヴィキ革命後に閉鎖されたのち、現在は郷土史博物館が管理者として建物内に小規模な地域博物館とアートギャラリーが設けられ、地元芸術家による作品の展示を行う。 営業時間:月曜 水曜-金曜 10:00-18:00、土曜 日曜 09:00-17:00。 値段:入場料70 рубを博物館とギャラリーそれぞれで徴収。
- 9 Saint George and Annunciation Church (Георгиевская церковь)、ul. Georgievskaya (ул. Георгиевская), 26。 石造りの教会は1410年にさかのぼる。ドストエフスキーと家族はこの街で避暑をしたとき、この教会に通った。一家はスターラヤ・ルーサで過ごした最初の夏に、上級司祭ルミャンツェフ神父の邸に滞在し、その邸宅で作品『悪霊』を書き上げた。ロシア古建築の記念碑的な例とは言えないものの、田舎らしさが溢れている。
- 10 St Nicholas Church (Церковь Николая Чудотворца)、ul. Krasnykh Komandirov (ул. Красных Командиров), 8。 1371年創建。鐘楼は18世紀初頭の再建中に増築したもの。改修を重ね現代的な装飾をまとい、古い教会の独特の優雅な魅力は残念ながら消えている。
- 11 Trinity Church (Троицкая церковь)、ul. Frunze (ул. Фрунзе), 12a。 保存状態の良い教会で1676年に建てられた。17世紀当時の商人階級の信徒が通った教会らしさを伝える。位置は市立公園の中心。
- 12 スターラヤ・ルーサ温泉療法リゾート (Курорт Старая Русса)、ul. Mineral'naya (ул. Минеральная), 62。電話番号:+7 816 5231603。 今日ではスタラヤ・ルーサを訪れる外国人観光客の目当てはドストエフスキーだけだが、何百年もの間、この町は温泉リゾートとして著名で、ロシア人は病気療養に来てミネラルウォーターや泥の治療を利用していた。いわゆる「ムラヴィヨフスキーの噴水」は一見の価値があり、公園内の建造物も彫刻の大部分もあまり目立たったものはない。この大きな噴水は複合施設の中心にあり、噴水の水は地下にある天然鉱泉。長い間、手の込んだ金属細工のパビリオンの中にあった時代には、噴水から木の彫刻で飾られた屋根付きの回廊がホテルまで、そして木造の劇場へと伸びていた。噴水が位置する複合施設は、第二次世界大戦でほぼ全壊し、政府は1980年代初頭に噴水を新しい金属製のドームで覆う工事をしたが中途半端な構造物は空中の塩分で腐食、何年も経たずに崩壊した。かつては雄大な姿だった噴水は形を変え、また吹き上げる水の量も、含有する塩分で周辺の木々が傷まないように、水量も減らされた。噴水の裏に飲泉館が立ち、冷たい温泉水や地面から湧き出したばかりのように熱い温泉水を試飲できる。 営業時間:噴水の「出水時間」は時間制。07:00-09:00、11:30-14:30、18:00-19:30。
買う
編集食べる
編集町には安いカフェや食堂がいくつかあり、どれもそれほどおいしいとは言えないものの、いざというときにお腹を満たすことは可能。町一番のレストランは「ホテル・ポリスト」内にあり、かなり良い選択肢で、ボリュームたっぷりのおいしいロシア料理が地元価格で提供されます(主菜は 250-400 руб)。地元の人気店「カフェ・イルメン」(Café Il'men')はホテルの外にあり、飲むのが目的なら悪くありません。
お手頃
編集飲む
編集この街では一般に、公共の公園か川沿いの散歩道で飲むのが最も気持ちが良いです。ただし寒い季節や、もっと贅沢にお酒を飲みたい場合は、ホテルのロビーのバーまたは「カフェ・イルメン」がおすすめ。
泊まる
編集- 1 ホテル・ポリスト(Hotel Polist) (Гостиница «Полисть»)、ul. Engelsa, 20。電話番号:+7 816 52 37-547、ファックス:+7 816 52 37-894、メール:polist@mail.ru。 全面改修のリノベを終え、このホテルは以前の避けたくなる姿ではありません。ゆっくりと眠ることができます。星3つにランクされた地方ホテルで、町一番のレストランを備えます。料金は朝食付き。 値段:1800-3400 руб、シングル 1400 руб。
- 2 スターラヤ・ルーサ (Курорт «Старая Русса»)、ul. Mineral'naya, 62 (リゾート施設の入り口に近いです。)。電話番号:+7 816 524-10-41。 滞在先として非常に良い選択肢。3食付きの部屋も予約可能です。 チェックイン:12:00。 チェックアウト:12:00。 値段:2800 руб(朝食付き)、シングル 1400 руб。
- 3 ホテルヴィ・ザ・ヴィ("Vis-à-vis") (Отель «Визави»)、ul. Mineral'naya (ул. Минеральная), 59а (リゾートの入り口に近いです。)。電話番号:+7 816 5232777、+7 911 6284454。 値段:ダブル 2000-2400 руб。
ここにあげた2軒の他に、スターラヤ・ルーサの住民が貸してくれるアパートの部屋がたくさんあります(500-1000 руб)。ネット広告を探すか、街に到着してから聞いてみてください。
出かける
編集スターラヤ・ルーサ は人の手が入った土地から隔絶されており、次の訪問地はもっと大きな都市として西の プスコフ または北のノヴゴロド(Novgorod)が選べる。当地のスターラヤ・ルーサを訪れるなら、また初めてなら、なおさら立ち寄るべき場所。この街でなければ、せめて東のヴァルダイ(英語版)に足を伸ばしたい。あるいは南に向かうと移動は大変だが、もっと人里離れたホルムの自然保護区 Rdeisky Nature Reserve(Kholm)という広大な湿原が広がり、美しい湖や修道院の廃墟が佇む。
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